高度経済成長の設計図を引いたことも偉業であるが、彼の本領は成長がピークに近づいた一九七三年の第一次オイルショックに際して、日本経済はこれ以上成長をつづけてはならないとゼロ成長論に転じ、バブル経済に警鐘を鳴らしたことである。さらに、八〇年代前半のレーガン政権時代に、アメリカが財政と貿易の双子の大赤字を抱え、その責任を日本の輪入の少なさ、国内需要の低さに転嫁し、「アメリカ製品を買え」と迫った時、敢然として「日本は悪くない」「悪いのはアメリカだ」と言い、理路整然とアメリカの言い分の矛盾をついてみせたのである。下村治は一九八九年に亡くなる。出身高校は旧制佐賀高校である。
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