「自分たちでは無理なところだけ大工さんにお願いして、あとはペンキ塗りなどはすべて関係者、仲間内でやりました。店の看板は、僕が電通の仕事で知り合ったデザイナーを口説いて、ボランティアで描いてもらったものでしたし、買い付けはすべてアメリカ現地調達。現在のように輸入元なども国内にはほとんどありませんでしたから商品はすべてハンドキャリー(手持ち帰り)。チケット代は、重松さんのお姉さんがフライトアテンダントだったので、そのルートで安く買えましたが、やはりセレクトに関してはすべて勘頼りでした。実は候補地は竹下通りにもあったんです。当時は、あそこもなにもなかった場所でした。でも、もし、1号店が竹下通りなら、ビームスの歴史も大きく変わっていたかも知れません」そう振り返る、ビームス社長である設楽自身は、この頃は、電通入社したて。社長である悦三氏からなにかと相談を受けたり、惰報源兼協力者として、学生時代、一緒に湘南や基地で遊んでいたりしていた平凡出版(現マガジンハウス)の小黒一三氏(現『ソトコト』編集長)を通じて、人脈や情報収集の輪を広げたり、と様々な形で裏方的な協力は惜しまなかったが、買い付けや店の運営そのものには深く関わってはいない。